2007/07/28

たが☆そで(下絵左)

その後、調べてみたら、
誰が袖図に人物を描いたものを、
誰が袖美人図というそうです。
どうでもいいですが。
 
画面を90度、
あるいは-90度ローテートさせて、
縦にしてみると、
ちょっと不思議な感じの絵になります。
落下するパンツ。

2007/07/25

誰が袖図ラフ

人物を描いてしまったら、
”誰が袖”
ではなくなるのですが。
 
いっそ、
人も描かんとこかなと思ったんですけど、
それではあまりに抽象過ぎるだろということで。
「画面内に最低一人は人物をいれる」
という制約はいまだ有効です。
 
くつしたはどうしたんだろう。
きっと、
はいたまま。

2007/07/21

ダイビング上の方

上の方はいまこんなことに。
 
色を塗るというのは、
ある意味数学に近いところがあるのですが。
 
こっちにこの色おいたら、
その色を生かすために
そのまわりの色をこう変えて、
そしたらあっちに比べてこっちがちょっと重くなるので、
あっちの方をもうすこし濃くして、
そうすると今度はそっちの方とのバランスが崩れるので、
そっちをいじってみたならば、
やっぱり前の方がよかったかなあと迷いだし、
どっちにしたらいいのかと、
にっちもさっちもいかなくなり、
湿地に足元をとられた僕は、
そのうちエッチなことを考えだしてしまい、
ポッチのこととか、
タッチしてみたいとか、
いかんいかんこんなことをしていては、
ピッチをあげなくてはいかんと思うのですが、
やはりムッチムチの誘惑が、
えっちらおっちらと・・・。
 
こういう風にして絵はできあがっていくのです。
 
『時かけ』
みました。
絵描きながら横目でちらちらと。
正直、最初の一時間くらいは、
「俺の苦手な青春物かよ、
しかも主役はバカなドジっ娘だし、
あーイラッとくる」
と毒づきながら、
かなりのマイナス補正でみてたんですが、
後半は完全に手止まってましたね。
いいじゃん。
時かけ。
 
あかん、手動かさんと。
次描くやつ、もう決まってんだから。
次はサイクル的にエロいのです。
いや、エロとかそういうのじゃない。
えー、人間の性の本質を冷静な視点で
偽りなく真正面から真面目に真剣に
冷酷なまでの視点でとらえ、
それを絵画という平面空間に解体、再構築した、
その独特のタッチでとらえられた、
その独自の画風はもはや、
もはやどうにも・・・
 
いっっっっっけえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーー!!!!!
 
・
・
・
 
上の方はいまこんなことに。

2007/07/19

ダイビング(もぐりかけ)

生後2時間。
衝動で描けるのは、
最初の2時間だけ。
後はひたすら心を落ち着けて、
だらだら
画面を整えていきます。
 
今日、
ユング心理学の権威、
河合隼雄先生
が亡くなられました。
 
絵なんか描いてると、
自分の創作の動機みたいなものを知りたい
と思うような時期ってのがあって。
若かりし頃は。
今は別にどうだっていいんだけど。
どうだっていいことはないんだけど。
心理学なんかにそれを求めて、
なんとか理由付けをしようとしたりしたもんだが、
そういう時に初めて読んだのが、
培風館っていう出版社から出てる、
「ユング心理学入門」
って本。
それを書かれたのが、
河合先生だったんだよ。
 
なんか、
それ読んで、
分かったようなふりしてたなあ俺。
 
ご冥福をお祈りいたします。

2007/07/14

どくこ(下絵左側)

いかにして
毒っぽさをだすか思案した結果、
水玉に行き着いたわけですが。
ぶどう味の炭酸じゃないよ。
 
電脳コイル。
いよいよいい感じに。
毎週観るたびに、
「ああ、今週もあいかわらず、おもしれえなあ」
と感心しています。
そうは言いながら、
どういう話なのか、
いまいち掴みにくい部分もあったんですが。
説明しろと言われても、
ちと困る。
眼鏡をかけた小学生が、
ビームやミサイル撃ったり、
攻殻みたいな電脳戦をやったりしながら、
街中を走り回ったりするっていう・・・。
それは、ただの外観だ。
  
でも、
ようやくここにきて、
核の部分らしきものが、
見えてきた気がします。
この話、
あっちの世界(=電脳世界と言い換えてもいい)
に行ってしまった者を取り戻そうとする、
オルフェウス物語じゃないのか。
ハラケンに対するカンナ。
イサコに対する兄。
ヤサコに対しては?
 
もちろん、
取り戻せるはずはないんでしょうが
(本当に取り戻せたら、
それはホラーだから)。
そのあがきと、
その先の挫折を描くっていう、
そういう話になるんじゃないのかしら。
挫折を描くということは、
成長を描くということに通じるからね。
と勝手に予想。
台風怖い。

2007/07/13

毒子(下絵)

この段階でとまっとるんですが。
毒をどうやって描くか、
いまいちイメージがつかめないんで。

2007/07/08

ポイズンガールなんとかかんとか(ラフ)

「毒の沼地」
っていうタイトルから
描き始めてみたが(タイトル先行型)、
実際描いてみたら、
沼地でもなんでもなくなったので、
タイトル変えます。
まだ未定ですが。
 
このシリーズ、
何シリーズ?
片腕シリーズっていうの?
これも定期的に描いてるけど、
いったいどこに向かっているんでしょうか。
よく分かりませんが、
たぶんにこれ、
自分の中のヒーロー像なんだよね。
ダークヒーロー。
片腕千切れて傷つきながら、
そこから流れ出す毒に、
自ら侵されながらも、
逆風の中、
パンチラしつつ、
笑いながら突き進む、
セーラー服の女子。
どんなヒーロー像だよ。
 
このシリーズには、
ある種の、
暴力性とか、
攻撃性みたいなものを
織り込みたいと思っているが、
それはもしかしたら、
自分の中にある、
叙情性や、
感傷性への志向に対する
批評なのかもしれない。
と、
ちょっと思った。
ほんとかよ。

2007/07/05

めざめたパワー(とちゅう)

ここしばらくは、
禁欲的というか、
そうでもないかもしれんが、
わりに自分の中では、
色をセーブしてる感があって。
 
まあ、
どんな色を選択するかってのは、
画題によるところが大きいので、
あまり色をふんだんに使ったりすると
効果的ではなくなる、
という
画題を選んでいたということですが。
でも、
そういうのが続いていると、
反動というかなんというか、
そうじゃないのも描きたくなってくるっていう、
そんな気持ち分かりますか?
 
あまり抑制のきいたものじゃなくても。
ちょっとくらい画面が崩れていようが。
快楽的な色彩もアリだろ。
そんな気が最近してきたので、
ちょっとまたやってみようか。
というか、
両方やればいいじゃん。
 
やれるもんならな。

2007/06/30

また少し大きくなってる(とちゅう)

裏タイトルは
「もう小さくはならない」
でお願いします。
 
軽く色つけをしてみましたが、
これ横長の絵なんだよね。
最初の構想では。
なので、
これから左右に余白を描きます。
余白を描くってのも変だけど。
まあいいけど。
 
今で横のサイズ5000ピクセルなんで、
これを横長にすると10000ピクセルオーバーだな。
動かねえよ。
画面3分割して描きます。
面倒だけど。

2007/06/28

また少し大きくなってる(下絵)

ver1.1
いざ塗り始めようと思ったら、
髪の毛が少し気になったので、
ちょっと直した。
はやく塗れ俺。
 
なるたけ線は単純化する方向で
話は通ってるんですが、
どうしても髪だけは線が多くなってしまうなあ。
できるんなら、
10本くらいで済ましたいんだけど。

2007/06/25

2007/06/23

2007/06/20

日傘ラフ

俯瞰だと、
どうにもパンチラのさせようが。
 
今日も今日とて、
生命(いのち)の現場から
お送りしております。
最近、
外にいるときは別になんともないんですけど、
家の中に入ると、
くしゃみ、鼻水が出ます。
もしかしてハウスダスト?
まあ、うちはハウスダストというよりは、
ダストハウスといった感じですが。
( ̄ー ̄)
(何うまい事言った顔してんねん)。
増長する自分。
終わらない夏休み。
しかし、
ハウスダスト ダストハウス
でググってみると、
同じネタを言ってる人が多数いる事が判明!!
うろたえた僕は、
「あらゆる表現はもはやコピーでしかありえない」
とつぶやきながら、
震える手でグラスを握り締め、
冷たい麦茶を飲み干すことしかできないわけですが。
誰だって独りでは生きられないのよ。
とりあえず、
同じネタを言っている人たちには、
「今のおまえたちに足りないのは死への恐怖だ」
というメールを送信しておきました。
いい意味に受け取ってもらえればいいのだけれど・・・。
 
まあ、メタバグくらい軽く落ちてそうな散らかりようですが、
この前なんか、なんか踏みつけて、
「いてっ」
と思って見てみたら、
足の裏にエビフライの尻尾が刺さってましたからね。
合体ですよ。
俺を誰だと思ってる、
ホリンエビンですよ。
 
このエピソードから、
なにかしら教訓を得ようとするならば、
それは・・・
 
『エビフライは尻尾まで食べろ』

2007/06/17

めざめるパワー

 
昔描いたこの絵
 
 
を一歩だけ、
いや、
つま先だけ先に進めた絵です。
 
たまには少し思想的な話でもしようか。
 
表現において、
陰と陽、明と暗、正と負、善と悪、ネガとポジ、シロとクロ、
なんでもいいですが、
そういう対比ってあるじゃないですか。
まあ、ないものもありますが、
一応、僕の絵は、
ある程度そういう図式にあてはめて考える事が可能だと思うので、
それを前提に話を進めます。
 
僕はどっちかっていうと、
創作の初期衝動(動機ですね)においては、
陰の部分から始まる事が多いです。
割にネガティブな部分を足がかりにして、
スタートすることがままあります。
しかしそれは、現実的になにか嫌な事があったから、
そのルサンチマンを作品にぶつけるという、
いわゆる私小説的な意味あいにおいてではないです。
全然違います。
僕はそういうのは不純だと思うし、
端的に言って粋じゃない
(でも全く現実から切り離された場所で、
のうのうと何かをつくるというのも、
また同時に違うと思う)。
あくまで人間的資質の問題として、
そういう傾向があるという話です。
ある種、作法、技法の話として受け止めてください。
 
陰の部分からスタートするという話に戻りますが、
僕がかねがね思っているのは、
『たとえ陰の部分から始めたとしても、
そこには陽の要素をいれなくてはならない』
ということです。
逆もまた然り。
明るいものをただ明るく描いたのでは駄目、
暗いものをただ暗く描いてもしょーがないし、
しょーもない。
そういうのは、あまり芸があるとは言えないし、
見たってそんなにおもしろくないですよ。
あくまで両方の要素が、比率はどうあれ混ざっていないと、
表現として安定しないのではないかと。
それは何故かというと、
この世界がそういう風に出来ているからです。
少なくとも僕はそう考えます。
そして、最終的に作品は、
たとえ微かではあったとしても、
正のベクトルを持っていた方がよりよいんじゃないかと、
今は感じています
(あまりに正のベクトルが強すぎるのも、
それはそれでいやですが)。
仮に表現に携わる身ならば、
自分の創ったもので、
よりよい方向を示してみせろ!!
そんな、大層なことじゃないですが、
心意気として、
そう自分に言い聞かせている部分はありますね。
まあ、出来る出来ないは別問題なのですが。
 
話が長くなってきたので、
この辺で切り上げますが(もう深夜3時・・・)、
「まあ、そういう見方もあるやろな」
という程度に捉えてください。
別に、作者がそう言ったからって、
それが正しい解釈とは言えないですから。
絵なのに、
あまりに文学的な見方なんじゃないかという
批判もあるでしょう。
でも、純絵画的要素を無視してるわけじゃないですよ。
仮に思想があったとしても、
それを線とか、構図とか、色で
表現するしかないのが絵なので当然ですが。
それは、
「絵をみてください」
としか言えないですね。

2007/06/11

わたし家出しちゃいました(ラフ)

どっから見ても、
家出っていう服装じゃないですが。
しかもすごくうれしそうだし。

2007/06/07

青い雨の背景を塗ったの

先に背景塗りおわったんで、
その上から雨を描いて、
一度は出来たと思ったんだけど、
一晩ねかせて見返してみると、
やっぱり出来てなかったんで、
もっかいこの段階からやりなおし。
データ残しといてよかったね。
 
このあいだ巣立ったばかりのツバメの巣に、
またツバメが帰ってきた。
わすれもの?
調べると、
ツバメってこの時期に2回繁殖するんだって。
 
このツバメがいなくなる頃には、
いよいよ赤い季節到来だ。