2007/06/30

また少し大きくなってる(とちゅう)

裏タイトルは
「もう小さくはならない」
でお願いします。
 
軽く色つけをしてみましたが、
これ横長の絵なんだよね。
最初の構想では。
なので、
これから左右に余白を描きます。
余白を描くってのも変だけど。
まあいいけど。
 
今で横のサイズ5000ピクセルなんで、
これを横長にすると10000ピクセルオーバーだな。
動かねえよ。
画面3分割して描きます。
面倒だけど。

2007/06/28

また少し大きくなってる(下絵)

ver1.1
いざ塗り始めようと思ったら、
髪の毛が少し気になったので、
ちょっと直した。
はやく塗れ俺。
 
なるたけ線は単純化する方向で
話は通ってるんですが、
どうしても髪だけは線が多くなってしまうなあ。
できるんなら、
10本くらいで済ましたいんだけど。

2007/06/25

2007/06/20

日傘ラフ

俯瞰だと、
どうにもパンチラのさせようが。
 
今日も今日とて、
生命(いのち)の現場から
お送りしております。
最近、
外にいるときは別になんともないんですけど、
家の中に入ると、
くしゃみ、鼻水が出ます。
もしかしてハウスダスト?
まあ、うちはハウスダストというよりは、
ダストハウスといった感じですが。
( ̄ー ̄)
(何うまい事言った顔してんねん)。
増長する自分。
終わらない夏休み。
しかし、
ハウスダスト ダストハウス
でググってみると、
同じネタを言ってる人が多数いる事が判明!!
うろたえた僕は、
「あらゆる表現はもはやコピーでしかありえない」
とつぶやきながら、
震える手でグラスを握り締め、
冷たい麦茶を飲み干すことしかできないわけですが。
誰だって独りでは生きられないのよ。
とりあえず、
同じネタを言っている人たちには、
「今のおまえたちに足りないのは死への恐怖だ」
というメールを送信しておきました。
いい意味に受け取ってもらえればいいのだけれど・・・。
 
まあ、メタバグくらい軽く落ちてそうな散らかりようですが、
この前なんか、なんか踏みつけて、
「いてっ」
と思って見てみたら、
足の裏にエビフライの尻尾が刺さってましたからね。
合体ですよ。
俺を誰だと思ってる、
ホリンエビンですよ。
 
このエピソードから、
なにかしら教訓を得ようとするならば、
それは・・・
 
『エビフライは尻尾まで食べろ』

2007/06/17

めざめるパワー

 
昔描いたこの絵
 
 
を一歩だけ、
いや、
つま先だけ先に進めた絵です。
 
たまには少し思想的な話でもしようか。
 
表現において、
陰と陽、明と暗、正と負、善と悪、ネガとポジ、シロとクロ、
なんでもいいですが、
そういう対比ってあるじゃないですか。
まあ、ないものもありますが、
一応、僕の絵は、
ある程度そういう図式にあてはめて考える事が可能だと思うので、
それを前提に話を進めます。
 
僕はどっちかっていうと、
創作の初期衝動(動機ですね)においては、
陰の部分から始まる事が多いです。
割にネガティブな部分を足がかりにして、
スタートすることがままあります。
しかしそれは、現実的になにか嫌な事があったから、
そのルサンチマンを作品にぶつけるという、
いわゆる私小説的な意味あいにおいてではないです。
全然違います。
僕はそういうのは不純だと思うし、
端的に言って粋じゃない
(でも全く現実から切り離された場所で、
のうのうと何かをつくるというのも、
また同時に違うと思う)。
あくまで人間的資質の問題として、
そういう傾向があるという話です。
ある種、作法、技法の話として受け止めてください。
 
陰の部分からスタートするという話に戻りますが、
僕がかねがね思っているのは、
『たとえ陰の部分から始めたとしても、
そこには陽の要素をいれなくてはならない』
ということです。
逆もまた然り。
明るいものをただ明るく描いたのでは駄目、
暗いものをただ暗く描いてもしょーがないし、
しょーもない。
そういうのは、あまり芸があるとは言えないし、
見たってそんなにおもしろくないですよ。
あくまで両方の要素が、比率はどうあれ混ざっていないと、
表現として安定しないのではないかと。
それは何故かというと、
この世界がそういう風に出来ているからです。
少なくとも僕はそう考えます。
そして、最終的に作品は、
たとえ微かではあったとしても、
正のベクトルを持っていた方がよりよいんじゃないかと、
今は感じています
(あまりに正のベクトルが強すぎるのも、
それはそれでいやですが)。
仮に表現に携わる身ならば、
自分の創ったもので、
よりよい方向を示してみせろ!!
そんな、大層なことじゃないですが、
心意気として、
そう自分に言い聞かせている部分はありますね。
まあ、出来る出来ないは別問題なのですが。
 
話が長くなってきたので、
この辺で切り上げますが(もう深夜3時・・・)、
「まあ、そういう見方もあるやろな」
という程度に捉えてください。
別に、作者がそう言ったからって、
それが正しい解釈とは言えないですから。
絵なのに、
あまりに文学的な見方なんじゃないかという
批判もあるでしょう。
でも、純絵画的要素を無視してるわけじゃないですよ。
仮に思想があったとしても、
それを線とか、構図とか、色で
表現するしかないのが絵なので当然ですが。
それは、
「絵をみてください」
としか言えないですね。

2007/06/11

わたし家出しちゃいました(ラフ)

どっから見ても、
家出っていう服装じゃないですが。
しかもすごくうれしそうだし。

2007/06/07

青い雨の背景を塗ったの

先に背景塗りおわったんで、
その上から雨を描いて、
一度は出来たと思ったんだけど、
一晩ねかせて見返してみると、
やっぱり出来てなかったんで、
もっかいこの段階からやりなおし。
データ残しといてよかったね。
 
このあいだ巣立ったばかりのツバメの巣に、
またツバメが帰ってきた。
わすれもの?
調べると、
ツバメってこの時期に2回繁殖するんだって。
 
このツバメがいなくなる頃には、
いよいよ赤い季節到来だ。

2007/06/03

青い雨の背景

とりあえず先に背景描いた。
 
電脳コイルがやばい。
すげーおもろい。
土曜の夕方っていう微妙な時間に、
なんてアニメをやってんだ、
NHK教育。
何を教育しようというのか。
グランラガンだけ見てればいいやと思って、
実際グレンラガンしか見てなかったけど、
これも見なきゃだめだわ。