2007/06/17

めざめるパワー

 
昔描いたこの絵
 
 
を一歩だけ、
いや、
つま先だけ先に進めた絵です。
 
たまには少し思想的な話でもしようか。
 
表現において、
陰と陽、明と暗、正と負、善と悪、ネガとポジ、シロとクロ、
なんでもいいですが、
そういう対比ってあるじゃないですか。
まあ、ないものもありますが、
一応、僕の絵は、
ある程度そういう図式にあてはめて考える事が可能だと思うので、
それを前提に話を進めます。
 
僕はどっちかっていうと、
創作の初期衝動(動機ですね)においては、
陰の部分から始まる事が多いです。
割にネガティブな部分を足がかりにして、
スタートすることがままあります。
しかしそれは、現実的になにか嫌な事があったから、
そのルサンチマンを作品にぶつけるという、
いわゆる私小説的な意味あいにおいてではないです。
全然違います。
僕はそういうのは不純だと思うし、
端的に言って粋じゃない
(でも全く現実から切り離された場所で、
のうのうと何かをつくるというのも、
また同時に違うと思う)。
あくまで人間的資質の問題として、
そういう傾向があるという話です。
ある種、作法、技法の話として受け止めてください。
 
陰の部分からスタートするという話に戻りますが、
僕がかねがね思っているのは、
『たとえ陰の部分から始めたとしても、
そこには陽の要素をいれなくてはならない』
ということです。
逆もまた然り。
明るいものをただ明るく描いたのでは駄目、
暗いものをただ暗く描いてもしょーがないし、
しょーもない。
そういうのは、あまり芸があるとは言えないし、
見たってそんなにおもしろくないですよ。
あくまで両方の要素が、比率はどうあれ混ざっていないと、
表現として安定しないのではないかと。
それは何故かというと、
この世界がそういう風に出来ているからです。
少なくとも僕はそう考えます。
そして、最終的に作品は、
たとえ微かではあったとしても、
正のベクトルを持っていた方がよりよいんじゃないかと、
今は感じています
(あまりに正のベクトルが強すぎるのも、
それはそれでいやですが)。
仮に表現に携わる身ならば、
自分の創ったもので、
よりよい方向を示してみせろ!!
そんな、大層なことじゃないですが、
心意気として、
そう自分に言い聞かせている部分はありますね。
まあ、出来る出来ないは別問題なのですが。
 
話が長くなってきたので、
この辺で切り上げますが(もう深夜3時・・・)、
「まあ、そういう見方もあるやろな」
という程度に捉えてください。
別に、作者がそう言ったからって、
それが正しい解釈とは言えないですから。
絵なのに、
あまりに文学的な見方なんじゃないかという
批判もあるでしょう。
でも、純絵画的要素を無視してるわけじゃないですよ。
仮に思想があったとしても、
それを線とか、構図とか、色で
表現するしかないのが絵なので当然ですが。
それは、
「絵をみてください」
としか言えないですね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ちょこっと出ている足に、すごくどきっとしました。まだどきどきする。どきどき。

ほりおじゅんいち さんのコメント...

ええ、この絵に描く意味があるとしたら、
まさにその部分なんで。
これ、まるごと影の中じゃ、
つまらない絵ですよね。

ところで、どきどきする部分はどこですか?
ここ?ちがう?じゃこっち?
ん?このへん?もうちょっとうえ?