2006/09/07

エイ子(状態2)

わりかし進行が早いほうかな。
意外と早く終わりそう。
と、思わせて、
樹海に迷い込む罠。
 
まだ、描いてる途中であれだが、
どうやら、この絵で、
技術が1段階上に上がってる事を実感できた。
ほんとに?
そんな気がする。
 
こういう事感じるのは、
年に1回あればいいほう。
 
描き始めの頃は、
1枚絵を描くたびに、
なにかしら上達を実感できた。
当たり前である。
どうしようもなく下手なんだから。
それがいつのまにか、
5枚に1回になり、
10枚に1回になり、
やがて、
何枚描いても何も感じなくなるのだ。
地獄。
 
だから、
上達したなあと感じた時は
(仮にそれが錯覚であったとしても。
むしろ、その可能性は高いのだが)、
素直に喜ぶことにする。
うれしいニャー。
 
僕は、決して技術至上主義者ではないが、
描き続けて年をとってくると、
自然と、
「技術というものを軽視してはいけない、
甘く見てはいけないのだ」
と思うようになってきた。
若い頃は(今だって十分若くはあるけど)、
「技術なんてどうでもいい、絵は感性で描くもんだ」
なんてうそぶいていたけど、
実のところそれは、
自分に技術が無いことへの、
エクスキューズだったりするわけです。
内心では、技術に対する憧れが、
メイルシュトロームの如く、
渦巻いていたりするんですね。
お恥ずかしい。
 
もちろん、絵に必要なのは技術だけじゃなく、
そりゃ感性だって必要だろうし、
才能だって、努力だって、根性だって、
なんだって必要なんでしょうが
(全く自信なし)、
ある種の絵には、
「技術の洗練によってしか表現できない何かがある」
ことは確実だと思うんです。
あくまで、
『ある種の絵』
にはね。
全ての絵に当てはまるとは言いません。
絵は限りなく広いですから。
技術が無いことによって表現される何かもあるでしょう。
感性だけで描かれた素晴らしい絵だっていっぱいあります。
でも、それは僕の絵じゃない。
僕はそういうタイプじゃない。
僕はそういうタイプじゃなかった。
僕は既に、ある方向性を志向してしまっている。
僕の目指している絵には、
どうやら技術の洗練が必要らしい。
今のところは。
 
 そういうことです。
 
まあ、そんなこと言っといて、
しばらくしたら、
「やっぱり、絵に必要なのは愛だ」
みたいな事を言ってるかもしれませんが
(世の中に絶対なんてない)、
皆さん怒らないでください。
絵という海には、
大小あらゆる概念がぷかぷか浮かんでおり、
そこで溺れる哀れな絵描きは、
その内のひとつにしがみ付く事が、
やっとなのですから。

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