2006/09/30

ほしくだき

 
い、行くなー!!
く、九月ー!!
 
2、3日前に出た、
つじあやのさんの新しいアルバム
「はじまりの時」
を聴いているんですが
これがわりに衝撃でして。
 
これまでの、つじあやのさんの歌って、
だいたい、
というかほとんど、
一人称が「僕」だったんです
(カバーの曲は、まあ、この場合除きます)。
「僕」から「君」へという視点で書かれていた。
つじあやのさん自身は女性なので、
一回ひねってあるんですね。
つじあやのさんの歌を聴いていて、
微かに感じる違和感
(もちろんそれは魅力なわけですが)、
ちょっと不思議な
「あやのさん的世界」
とでもいうべきものを成立させている秘密は、
ここにあると思っています。
そこがつじあやのさんの、
「やらかい場所」
だと。
 
それがですね、今回のアルバムでは、
人称が「私」になっているんですよ。
ひねってあったのを、
もう一回ひねって、
女性視点に戻っている。
それが、つじあやのさんファンとしましては、
地味に衝撃なんです。
 
それまで、女性視点をとらない事で、
どういった効果があったのかというと、
なんというか、
性的なものを抑圧、隠蔽することによって、
そういう匂いを直接感じさせないような、
クリアで透明な世界を
つくりだす効果があったと思うんですよ。
たぶん、つじあやのさんは、
女性が、露骨に女性性を前面に押し出すような表現が、
あまり好きなんじゃないんじゃないでしょうか。
勝手な想像ですが。
 
そこにきて、このアルバムですよ。
例えば、『Bathroom』という曲の出だし。
 
体があなたを求めている
初めて香水を柔らかな耳たぶにつけて
出かけた今日が終わって
そして今私はバスルームの中
 
こんな表現、
今までのつじあやのさんにはなかった。
なかったよ。
これはもう、
新しい地平に出たと言っていいんじゃないでしょうか。
 
お、親方ー!!
じ、事件ですぜー!!

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

きみともっと早く会えていればもっとよかったね

ほりおじゅんいち さんのコメント...

君にありがとう
君にありがとう言わなくちゃ

このまま僕は誰にも出会えずに
壊れたままの悲しみ背負いながら

僕らは何度でも生まれ変われるのさ

言い訳が切なくて目を閉じた